上田紀行

とにかく、びっくりした。5限の授業、「現代宗教の可能性」とか何とかいうタイトルの文学部特殊講義だったのだが、次々と繰り出される、常人なら一生のうちにただの一度も経験しない(あるいは経験したくない)ような事柄にただただ圧倒されるばかりだった。


大学に入って挫折する、トラブルを経験する、あるいは社会的不適応に悩む人間は決して珍しくは無い。「そこら中に転がっている」といっても良い。そこから、離人症性障害に発展するヒトも中にはいるだろう。「全てをディスカウント、つまり矮小化する囁き」に日々悩まされる、厄介な症状。


しかし、上田が凡百のメンヘルと決定的に違うのは、そこから「インド、バリに行って様々な特殊体験をする」「自己啓発セミナーに高い金をつぎ込む」「見田宗介など、様々な教師のゼミに参加する」と言った体験を経て、「元気になる」「癒される」にはどうしたらよいか、と言った実際的な、そしてややきわどい関心を学問にまで昇華させ、発言や運動を積極的に行っている点にある。


まぁ、実際のところ、そんなもっともらしい説明はどうでも良くて、自分はただひたすら彼自身の佇まいに圧倒されていた。発するオーラと言うべきか。「別に俺、いてもいなくても同じじゃん?」という、人間生きてたら誰でも感じてしまうあの薄ら寒い感覚の克服に無駄にエネルギーを費やし、何とか和解することに成功した男の「凄み」を、そこに垣間見たような気がした。
少なくとも行政法のおっさん(苗字は小早川)の柔和な顔よりは眺める価値はあると思った。…おそらく小早川が新橋のガード下を歩いていても東大教授と気付くものは少ないだろう。それくらい柔和で庶民派。それでいて講義は難解かつ退屈。


またもや収拾がついていないが、話をまとめるのも面倒なので寝る。明日もテンション上げていかないといけない。