ボーナス

人物試験という名の面接が終わった。面接自体に特に特筆すべき事は無く、むしろ面接を廊下で待っていた時に隣の受験者と話した内容のほうが比較的印象に残っている。


その男はいかにも苦労人風で、何かにたとえるなら、毎日顕微鏡で細菌ばっかり見ていたせいで視力が悪くなって眼鏡を掛けているドラえもん、といったところだった。私が「試験めっちゃくちゃ不安ですよね〜」とわざと茶化して話しかけて相手が「ハイ。。。」と力無く返事をした後3分間の沈黙が訪れた。


…と、突然、男が語り始めた。

男「不安に思うだけマシですよ、まだ合格する見込みを捨ててないって事ですから。私なんて、そんな境地捨ててますから」
私「そ、そうなんですか?」
男「勉強だけは頑張ってきましたから…高校、浪人時代含めて」
男「もともと一次を突破する予定なんてまったく無かったんです。最初司法試験を受けていたのですが落ち続けて、大学院に残ってまだ頑張って、今度は一時的に公務員試験に切り替えて受けてるんです。でもボーダーにはなかなか届かなくて、今年も秋から冬に掛けて受けた模試で判定悪くて半ば諦めてたら、本番で勘が冴えて偶々受かって。。。」
私「ぉお…」
男「今まで一度も面接というものを受けたことが無くて、緊張しているのですが、やるしかありません」
私「ぉお…ところで第一志望はどこの官庁ですか?」
男「法務省です」
私「めずらしいですね」
男「司法に少しでも近いところで働きたいんです。検察官などと一緒に」
私「でもそういう所だと司法試験出身の人々が幅利かしてたりするんじゃないですか?」
男「いいんです、司法が関係していれば。試験区分は関係ありません」

壁に恋をする女がいるように、私の隣にいた男は六法という国家の産物に恋をしているかのようだった。公務員試験の面接を通過することなど端から眼中に無く、目指すは法の専門家、そんな福音主義的な情熱はどこからやって来るのだろう? 自分にはそちらのほうが気になった。

…と、そこで思ったのだが、一定の対象から派生する観念の群れによって自らががんじがらめにされることを恋愛と呼ぶならば、観念から派生する観念によって自らが支配されることも立派な恋に間違いないのである。そして抽象的な恋愛は具体的な恋愛よりも醒めるのに時間を要するのだ。ポケット六法は、彼らにとってのEvangeliumが詰まった新約聖書であり、「勉強だけは頑張ってきた」と豪語する司法試験受験者はまさにストア派である。



…独善的な言葉遊びはこれくらいにして、ともかく試験通過を祈るばかりである。目的や意味が何なのかすら良く分かんないけど頑張っているというのはあまり格好良くは無いが、愛があれば全然OKなのではないか。などと思いながら帰路に着いた。