ありきたりな話3

最近まったく日記を書いておらず、「あいつはいったい何をしているのかまったく分からない」などと言われることも一度や二度ではなく、とても心苦しいのだが、一応元気です。ただ、ここ1ヶ月くらいは家でおとなしくしている時間のほうが多かったかもしれない。何とかならないか、とは思うのだけれど。


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最近気になった報道と言えば、これはやはり福田首相退陣、とでも言えばよいか。

衆議院参議院とで与野党の勢力が逆転している状況の下で、連立を組む片一方の党と、重要法案の取り扱いや経済政策の面で食い違いが生じた。純粋に数の力だけで法案や予算を成立させることが困難になり、かといってインフォーマルな交渉によって利害対立を止揚するだけの自信が無いのならば、さっさと辞めてしまった方が政治空白を最小限にとどめることが出来、合理的である。やる気の無いリーダーが日本国のトップに居座ることは、悲劇的というよりむしろ喜劇的である。

同じ辞める方法でも衆議院の解散ではなく首相の辞任と言う形式を採った最大の理由は、自民党の利益を最大化するためであり、これも合理的な行動である。

解せないことがあるとすれば、自民党が政権党としての力を喪失していることが誰の目にも明らかであるのにも拘らず、民主党自民党の支持率が拮抗していること、そして小渕や森の如く積極財政路線を掲げる麻生太郎に次期首相としての期待が集まっていること、この2点である。もはや保守は偉大であると言うほか無い。


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そんな皮肉はさておき、自らが重要視する政策を予算や法案に仕上げる事すらままならない現在の状況を繰り返さないためにはどうすればよいか。

そもそも望ましい統治の要件は「民主的正統性」と「政治的合理性の追求」が保障されていることである。経済、社会保障、農業、都市と地方など、ありとあらゆる社会領域が政治化している(つまり利害対立が生じている)時代においては、国民の支持を受けた統治者が強力なリーダーシップを発揮することが何より求められる。利害を調整するだけではなく、対立を解消することが最終的に困難である場合には決断する。憲法的制約の範囲内で決断する、こうしたシュミット的な発想は見直されても良い。

だとすれば、何よりも有効な処方箋は首相公選制の導入を含む、民意を反映する形での官邸機能の強化である。安倍・福田内閣がなぜ政権運営に行き詰ったかと言うと、本人の資質もあるだろうが、国民が選んだ内閣ではなく求心力を失いやすかったからというのが最大の理由だろう。

首相公選制によって、国民が首相を直接選ぶ仕組みを整備するのも良いし、もしそれが困難であれば、総選挙と各党の党首(総裁)選を同時に実施し、間接的に国民が首相を選べるようにする。その代わり、任期途中での党首辞任は極力制限する。そうすれば、政治の見通しは少しは良くなるだろう。

もちろん政治には、国民の私的利害の単なる集積を超えた「公益」を追求し、長期的視野に立った正しい政策を実現する義務が課せられている。現代日本において首相選択に民意が最大限反映されるようにすると、一種のポピュリズムに陥るのではないかと言う批判が必ず生まれる。


しかしこれは物事の順番が間違っている。なぜなら政治不信を解消する手段としては、「参加による安定」が「正しい政治」に先立つからだ。安定した政権基盤が無ければ、為政者が仮にいくら有能であっても政策は実現できない。



なーんてことを思った今日この頃である。明日もがんばろう。