冨山和彦の熱い話

1月8日になった。置かれた状況は1月6日と一緒だけれど。この2日ほど塞ぎこんでいたが、ようやっと少し回復してきた。なぜ回復してきたのかは分からない。

いつも不思議なのは、テンションの低い時にエンドレスで(それこそ1日中)思い悩んでいたことが、気分が乗ってきたらあまり気にならなくなってきて「まぁいいかしょうがねぇ」位にしか感じられないこと。この突然の方向転換は何??という。人間の思考のかなりの部分は生理的な条件に支配されているが完全に従属している訳では無い。その辺がなんとも微妙。

特に憂鬱な時に感じる、誰かに無理やり「考えさせられている」ような感覚が謎。実際には全く論理的思考ではないのにも関わらず、考えているような気になって変なスパイラルに陥る。凹むときはいつも螺旋状で、堂々巡りしつつ気分が落ち込むのだ。




それはそうと、今日の日経新聞に掲載されていた冨山和彦の記事が熱かった。元・産業再生機構代表取締役であり、長く事業再生の現場に身を投じてきた何かすごいおっさんによる「わたしたち」への警鐘。内容自体は特に目新しくはないものの、語り口が妙にリアルで鬼気迫るものがあった。


ここの所、青ざめたペシミズムが言論界を賑わせている。曰く、日本は衰退傾向にあると。外には国際競争力の低下、内には巨大な財政赤字少子高齢化PISAの学力調査は教育の機能不全を、ドルベースで見た一人当たりGDPランクの凋落は「円」の購買力低下とそれに伴う「豊かさ」の将来的な喪失を示唆している。日本株のパフォーマンスも世界的に「一人負け」状況にあるらしい。。


凡百の論者と異なり、冨山はその原因を、経済財政政策についての国民的コンセンサスの不在に求める。その背後に控えているのは巨大な「世代間対立」と「正規雇用非正規雇用との対立」である。彼にとっては、官民対立、労使対立、都市と地方の格差、いずれをとっても本質的な対立ではない。


「格差」ではなく「対立」、という所がミソだろう。既得権益を持つものと持たないものとの間で繰り広げられるゼロサムゲーム。日本と言う、おそらくこれ以上大きくはならないであろうパイの奪い合い。では利害対立の調停は誰が引き受けるか?それは政治以外にありえない。政治の復権が待望されているのだ。




続いて記事は、世代別の議員割り当てなどの選挙制度改革へと進むのだけれど、改革の具体的な中身の是非は分からない。分からないけど、確かにアメリカ大統領の予備選挙で、各党の候補者が大声で「変革」だの「実績」だのと喚いて聴衆が拍手喝采しているシーンを目にすると、「日本でも、民主的に選出されたカリスマ的指導者が、強いリーダーシップを背景にばばーんと懸案を処理してくれたら楽だろうな」と思う。問題は「誰が今の制度を変えるか」だろう。


既得権益についても何か考え込んでしまった。就活する際にも、まず自分の手元にあるカードが効力を発揮する企業にエントリーしたくなる。これも一種の既得権益だろう。公務員だってそうだ。「安全牌」があるのか無いのか分からない、でもそれにすがりたくなる。リスクを取るのが怖いだけなのかもしれない。早く吹っ切れたい、頭の上のハエは早く追っ払ってしまいたいと思った。


今日も相当長々とまとまりのない事を書いてしまった。まだ寝ない。

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