バトン・シュミット・ピラミッド

バトンを2年ぶりにしてみる。

1月生まれの大学生、
本を読むことと洋服を買うことと、ジョギングと旅行が好きで、
若干冷めキャラで、
自分の考えを持っててそれをきちんと丁寧に伝えてくれる人が好きで、
地図を速く読むのが特技で、資格は無くて、悩みはあって、
もやしと牛乳が好きで、
嫌いな食べ物っていうものの考え自体があってはいけないことで、
好きな人はいます。
最後に好きな人に一言、
好き好き大好き超愛してる。また京都に遊びに来て下さい。」


割とまともに表明しているつもりが文章にするとどうにも嫌気が差す。




色んな出来事が起こって、それでいて2・3日すると記憶に霧がかかってぼやけてくるのが最近の悩み。メールを返さなきゃいけないと分かっているが、それすら出来ないようではいけない。人間として。

緩やかにテンションが下がっていて、会話がとても少なくて、それでいて浮世離れした読書だけはやめられない。中っていると言って良い。最近も試験勉強と称して憲法の過去問を解いていたら、いきなり「制度」とは何なのかが異様に気になりだしてノートを書く手が止まって何か全部面倒になって図書館で本を借りて一日茫然と読んでいた。

ホーンブック 憲法

ホーンブック 憲法

2年の始めに買わされた憲法の教科書がハルシオン並みの驚くべき睡眠導入効果を発揮することを知り、周囲の学生が900番教室で淡々と精読に励んでいる図を目の当たりにした瞬間、自分は法律の学習に向かないことを悟ったのだけれど、今になって考えれば愚かだった。

世界が狭かったのだ。芦部信喜を泰斗とする「啓蒙憲法学」はもはや主流の地位を滑り落ち、残るはカオスのみ。様々な学者がひとしなみに自らの理論知を示そうと躍起になっているのが楽しい。「各種国家試験対策講座」に限り、あと数十年は現在の「通説」とやらを朗々と講ずるのだろうが。


とりわけ一つ目の本は素晴らしい。「制度保障論」が語られてきた歴史的文脈を辿りつつ、カール・シュミットの感動的な「31年論文」誕生を寿ぐ。後世のシュミット解釈の杜撰さを嘆きつつ、永らく野ざらしにされていたドイツ概念法学の初歩的なジャーゴンの群れを、その黴臭さを損なうことなく取り出し読者に提示することに成功している(と思う)。半分くらい意味不明だったが。

そして何より、法律学のモノグラフィには不釣合いなほど文体が審美的かつペダンティック。例えばこんな感じ。

けれども、オーリウ=シュミットの恒等式を前提にして相互の「制度」概念を同視し、Institution=法人格を有する制度(institution―personne)、Rechtinstitut=法人格を有しない制度(institution―chose)というふうに、直訳的な比較対照を行いながらの釈義を行うと言う喜劇を、その後の研究者に演じさせる遠因を作った点で、ショヌーアの何気ない不用意な言明は罪が重い。

みたいな。名著というかむしろ奇書である。読み進めるにつれて、コトバがおぼろげな像でもって目の前で再演される。変なたとえだが、トランプでピラミッドを作っていく感覚に似ている。何度挫折しても、腑に落ちるまで諦めない。それしか慰め事がないから。

あと何ヶ月かはこういう不透明な日々が続くのかと思うと萎えるが、気にしてもしょうがない。それにしても就職はいつ決まるのだろうか?