フラストレーションの解消法

…最近良く髪の毛が抜ける。小学生の頃の抜毛癖が執念深く自分の毛根を攻撃しているような気がする。取り合えずストレスとか欲求不満のせいにしておくが、何だかなぁ、と言った感じだ。

欲求不満は、であると。物心ついた時点で自我が生まれ、自我が生まれると同時に何かしらの欲望が生まれ満たされることを望むが、当然ながらいつも満たされるわけではないのでフラストレーションが発生する、やっぱ生活って大変だね、みたいな?…ていうかこの解釈の平凡さに我ながらむかついてしまう。誰かほんとうのところを教えて欲しい。

教えて欲しいと言えば、「口唇期固着」これが気になる。要はフラストレーションの典型例を一個剔出したもので、「慢性的に愛情に飢え」「食べることにこだわり」「ガムを噛むのが好き」で「皮肉屋」で「おしゃべり」、その他色々な特徴が列挙されている。wikiとかに。「これって自分の性格に近似してないか??」と思ったが確認する術がないので若干困っている。母親に今更聞くなど、もはや変態である。ちなみに口唇期固着の人間はキスによる快感を求めるらしい。これはノーコメントと言うことにしておこう。


ところで今日誰かから、「唇の厚い人間はキスによる快感が一般よりも大きい」と言う良く分かんない説を聞いた。そこで若干思ったのだが、もし「キスしまくっていると唇が厚くなる」という仮説が成り立つなら、世の口唇期固着の人間はキスを繰り返すことにより快感の無限スパイラルに突入するのではないか。一瞬想像して武者震いがした。もちろん嘘である。アルキメデスもびっくりの永久機関の完成。渡辺淳一よりも薄っぺらい言葉の無駄遣い。


では、欲求不満を抜本的に解消する方法はないのだろうか? 例によって三島の文章を延々引用してみる。相変わらず感動的な文章である。

「認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。(中略) 認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」
「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」
「ないね。あとは狂気か死だよ」
「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない
(中略)
「美的なもの、君の好きな美的なもの、それは人間精神の中で認識に委託された残りの部分、剰余の部分の幻影なんだ。君の言う『生に耐えるための別の方法』の幻影なんだ。(中略)認識にとって美は決して慰藉ではない。女でもあり、妻でもあるだろうが、慰藉ではない。しかしこの決して慰藉ではないところの美的なものと、認識との結婚からは何ものかが生まれる。はかない、あぶくみたいな、どうしようもないものだが、何ものかが生まれる。世間で芸術と呼んでいるのはそれさ」
「美は……」と言いさすなり、私は激しく吃った。埒もない考えではあるが、そのとき、私の吃りは私の美の観念から生じたものではないかという疑いが脳裡をよぎった。「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ
金閣寺』第8章より

要は行為である。もっと動け、もっと悪あがきしろ、と。美と認識の結婚、すなわち芸術は人間精神に無くてはならないものだが、それだけで生の耐えがたさから解放される訳ではない、と言うことか。だとすれば若い、若すぎる。中学2年生並の精神年齢。


とりあえず明日もねちねちと授業を受けることにする。近所迷惑だがマリリンマンソンを聞きながら寝る。耳が痛い。