ドメスティック・サティスファクション

本当は微かに受けるつもりだった国際法第2部を放棄した。せざるを得なかった、と表現した方が正確だが。。。嫌々ながらも、個人的に最も力を入れていた民法第2部が3日前に終わって、自分でも分からない位すっかり「気が抜けた」。惰性で2科目ほど続けて受けて、もう満腹。


"もう、あんましムリしなくてもよくね??そんなに単位欲しけりゃ来年もう一度受けたら良いじゃん。お前は誰と勝負してるんだ??"という、仄暗い執拗な声に打ち克つ事が出来なかった、ということか。甘ちゃん。ガキ。だが世の中そんなもんである。




それはそうと、この前、大学の友人が海外に留学すると言う話を聞き、ひどく羨ましく思った。中央アジアの大学に1年。それと引き換え、自分に出来ることは。。。国際っぽいメディアに接し「海外に思いを馳せる」くらいか。そう思い、調子に乗って"The Economist"を購入し、"The Unidroit Principles Of International Commercial Contracts"の注釈つき解説本(もちろん日本語)を借りて読んでみた。


"The Economist"を一読した感想は、「視野が広い」。そんだけかよ、と言う気もするが、日本語にまみれて暮らしていたドメスティックな学生にとっては、英語にたまに触れるだけでも結構新鮮だったりするのだ。安倍が辞めようが辞めまいが(辞めちゃったけど)、世界は確実に回っている。イラク戦争とか、南アジア〜中東にかけての政府vsファンダメンタリスト、みたいな問題とか。対岸の火事も、見物しないよりは見物した方がまだマシではないか?例えそれが人込みの中から背伸びしてやっと覗き込める程度のものであっても。




UNIDROITの方はもっと実際的な問題を孕んでいる。2009年度の法案提出を目指し、日本全国の有名な民法学者が分担して(広義の)債権法改正試案を取りまとめている最中らしいが、債権法の中の契約総則をいじる際に、この国際商事契約原則が参照されるのは間違いない、と自分は勝手に睨んでいる(ただ、日本は未批准)。何より、契約にまつわる原理原則(と準則)が整然と並んでいて心惹かれるものがある。


契約総則に限らず、日本には日本の取引慣行があって、わざわざ債権法を作り変える必要はない、と主張する人も多い。弁護士のブログなどに良く見られる傾向で、現場で金融実務に携わるヒトも同様の事を思っているかもしれない。


しかし起草から100年を経た今、民法判例・学説・特別法によって様々な修正や法創造を受け、今や普通の社会人が普通に条文を読んだだけでトラブルの妥当な解決を導くことは全く不可能になってしまった。つまり、「市民社会の基本法」という崇高な理念を掲げた民法が、一部の手練れた専門家以外は手出しできない「経典」に成り果ててしまったのだ。それが「健全な」状態であるとは自分には思えない。


社会全体の「法化」が進み、規制による紛争の事前予防を担っていた行政の必要性が低下している状況で、市民が日々関わる、売買や賃貸借に関するルール、契約に関する原則を「少しでも分かりやすくする」ことは政治的責任だ。その際に、世界中の契約法学者を集めて作り上げた件の文献が、立法に当たって何らかの道筋を提供してくれるだろう。




なーんて偉そうなことを書いてきたが、要は海外すげぇって言ってるだけっぽいのでもう終わる。しかも何様だよ、どんだけ正当化したら気が済むんだ、て感じだし。「海外すげぇ」と言う感覚には何か看過できない秘密が隠されているような気がするが、それについての議論を展開する時間は今はないのでそのうち気が向いたら書くことにする。腹が減った。