後味の悪さ、その他

松岡利勝と言う男が死んでから一週間が経った。自殺という出来事は、単なる野次馬根性以上の何かを受け手に与えるらしく、有象無象が色んな所で色んな事を書いていたのが印象に残った。


これは自分の勝手な推測だが、おそらくこのニュースに接した人の多くは「後味の悪さ」あるいは「後ろめたさ」を感じていたことと思う。たとえ意識に上っていなくとも、だ。自殺の原因をめぐって「説明責任を果たさない本人が悪いんじゃね?」「庇い続けた安倍首相が殺した」「むしろ執拗な追及をしていた野党、メディアに責任あり」などと臆面も無く書きたてる人がいるとしたら、むしろそれは典型的な精神分析的「否認」の成せる業なのではないかと考えてしまう。


それにしても、事務所経費水増しであれほど平然としていた男が、緑資源機構談合・特森協使途不明金の問題が明るみになろうとした瞬間に死ぬ、その辺に何かやりきれないものを感じる。俺の政治生命はおろか、周囲の諸々の人間や組織にも致命的な打撃を与える、そう考えて絶望したのだろうか。あるいは自らの「叩き上げぶり」への恥辱が病的に膨らんで行ったか。(かつて自殺した国会議員が、多かれ少なかれ皆バリバリのエリートだったことと対照的だ。永岡洋治しかり、新井将敬しかり)


かつて政治家を目指すものの3条件として「地盤(後援会)・看板(知名度)・かばん(政治資金)」が必要だ、と言われていた事があったが、地盤も看板も初めからある訳無い一介の農水省技官(要はその辺のおっさん)が権力を獲得しようものなら、少々ダーティな手段をも平気で使い、資金をかき集めないといけないのか?もしそうだとしたら、政治とは相当シビアな営みに違いない。2世、高級官僚上がりが幅を利かせ始めた議会を別に非難するつもりは無いが、何となくそこにアンフェアな匂いを感じる…と言ったら死人の肩を持ちすぎだろうか。


いずれにせよ、「独立行政法人→官製談合→政治資金」みたいな話には眩暈がするほどの既視感を覚える、とか言ってたら微妙にテンションが下がってきたのでそろそろ寝ることにする。読み返すと文章にとげがあるが、今更書き直す気も起きないので放置することにする。明日も元気に頑張ろう。