会津若松

青春18きっぷが余ったので何となく会津若松と新潟に行ってきた。2日前の晩に、昔のサークルの友人と渋谷で飯を食いつつ色々しゃべり、鷺沼に戻ってスーツに着替え、浜田山で一晩を過ごし、まだ夜も明けないうちに出発した。



実はその日は非常勤講師登録している学習塾のバイトで、栄東中の入試の支援のため東大宮までまず行くことになっていた。7時30分に目的地に着くと、親に連れられて続々と校門をくぐる生徒たちの姿が見えた。彼らは寒さのためか一様に顔が引きつっていたが、緊張と焦燥感のあまり目が泳いでいるような顔にはほとんど出会わず、むしろ晴れ晴れとした表情が多かったような気がした。小学生にとって、入学試験の会場までこぎつけると言うことは、そのまま受験勉強の終わりを意味する。併願校はまだ残っているものの、勉強から解放されることはきっと爽快感と脱力感をもたらしてくれるだろう。不謹慎なたとえだが、列をなして校舎へと吸い込まれていく人々の様子は、あたかも斎場へ拾骨に向かう遺族の群れのように見えた。塾関係者は何にたとえられるか…もはや言わずもがなだろう。


そんなわけで無事仕事も終わり、早速東北本線の普通で郡山まで向かった。磐越西線に乗り換えてしばらくすると、辺りは次第に雪景色に変わっていった。磐梯山が見えるはずと思って目を凝らしていると段々眠くなってきて、気がついたら会津若松駅に着いていた。

若松の一番の観光名所といえば会津若松城か。小さく安っぽい天守閣をかくまうかのように、濠と石垣が壮大に張り巡らされている。戊辰戦争の時代には激しい攻防戦が繰り広げられたそうだ。まぁ…攻め落とすのは簡単ではなかっただろう。内堀の中は積雪のため一面真っ白で気持ちが良かった。大方の建物も白く、かすかに眩しくて目を細めた。まばらな観光客が天守閣の周りを散策しているのを石垣の上でぼんやり眺めているうちに雪が激しくなってきたのでそそくさと駅へと戻った。


列車に再び乗り、知らない人からお菓子だの紅茶だのをもらいつつ新潟に着いた。やることが思いつかなかったので日本海を見に行くことにした。歩いて40分ほどかかるのだが、海岸に近づくにつれてどんどん人通りが減り、街灯の無い松林を抜けたころには自分一人になっていたのには驚いた。ていうか車すらほとんど走っていない。
何というか、真冬の夜の日本海はなかなか愉快だった。海坊主を想起させる暗い灰色の波が沖合間近の防波堤にぶつかり、地響きのような音を立てながら派手にしぶきを上げていた。巨大な屋根瓦がずんずん迫って割れていくようだった。吹き付ける海風は飛沫を含み、顔に当たると微妙に濡れた。潮の匂いはあまりしなかった。辺りに誰もいないことを確認し、海に向かって一通り悪態を吐いた時点で俄然恥ずかしくなってきたのでさっさと帰った。何者かに拉致されそうな気がしたからかもしれない。


夜行で東京に着き、今帰ってきた。眠いので今から寝ることにする。