10月反抗

一昨日、最終企画会議が終わった。毎年最終会議の後には先輩方がクラッカー鳴らしてプレゼントを渡すと言う慣習があり、今年もそれが踏襲された。一仕事終わった解放感と、晴れがましさと、一抹の寂しさが渾然となった、微妙な気分だった。コンパして徹夜して、一年の立てた企画に参加して、早めに寝た。


「去るものは日々に疎し」ということばがあるが、最近一週間は、この、世間を分かったような文言を実感しつつ、もう一方では抗おうとしていたような気がする。2週間ほど帰省してお彼岸の墓参りに行くという「本来の」用法以外にも、体育祭に行ったり高校の頃の友達に会ったり、あるいは東京でコンパに参加して無駄に完徹したりしたこと、それらは皆ある種の「名残惜しさ」に由来していた事は言うまでも無い。自分は結構薄情な人間だと思うけれども、それでも過ぎ去ろうとするものごとを、トカゲが尻尾を切って逃げるが如く容赦なく切断していくことにはやはり抵抗があった。幼稚園から小学校、小学校から中学校と、それまで仲の良かった友達とあっさり離れ離れになった(というか、色んな事情により元のコミュニティから一人飛び出して別の何かに溶け込むしかなかった)経験が根っこにあるのかもしれない。来学期こそはまともに授業に出てロシア語を勉強しよう、演習にも出てやろう、それぐらいの意気込みすらある。

最近ぼんやりする事が多い理由には、将来自分が何で飯を食っていくか決断する時期が近づいているにもかかわらず、全く決断できないこともある。就職するか、国家試験を受けるか、大学院に残るか、そうした大事な決断が、自分にはどこか現実味の無い、他人事のように感じられる。「法律家になりたい」「物理の勉強をしたい」「早く社会に出て働きたい」…目標を正確に立てて実現に力を尽くす、そういうシンプルな野心を渇望している。若干焦ってもいる。なし崩し的に世間に埋没していくのは、やはりちょっと悔しい。
とりあえず何かしないといけないので、部屋でも掃除する事にする。まだ疲れてない。