時代遅れ

最近、全く日記を書いていない。良くない傾向だ。何とかしないと。
それはそうと、僕が山に登ったりぼんやりしている間に、靖国問題がメディアの話題から綺麗さっぱり消えてしまっていた。こういう論争的なテーマが好きな僕としては少し残念だったが、やむなしと言う感じもした。マスコミ、掲示板、ブログ、その他メディアで繰り広げられる言説はどれも説得的で興味深かったものの、その多くが、中韓A級戦犯との絡みで首相の靖国参拝の是非を問うという形式に拘泥したあまり、自国の戦死者とどう向き合うか、という厄介なテーマがなおざりになってしまった。今から見れば大義などありそうに無い侵略戦争に命を捧げ、混迷の中無残にも死んで行った者たち。その彼らを、戦前とは全く違った価値観を享受している私達が追悼する「資格」があるのか、疑問だ。その「私達」の中に一国の宰相が含まれるのは言うまでも無い。
万歳突撃、神風特攻隊、累々と築き上げられた”犠牲者”の上に今の日本が成り立っている、とはよく言われる決まり文句だ。これは少し考えてみる必要がある。犠牲者とは、何かしらの権力、理念の前に命を捧げたものを指す。とすれば特攻隊員は何のために命を捧げたか。それは天皇陛下であり、日本が脈々と受け継いできた(とされる)国体だろう。
今はどうか。天皇はとうの昔に人間宣言をし、祖国のために死のうなどと本気で考えている者はまず、いない。いても困る。敗戦後にアメリカによって無理やりもたらされた憲法のお陰で、日本人は多くの自由をはからずも手に入れてしまった。もはや戦前には戻れない。戦前と戦後の日本には、もはや埋めがたい懸隔がある。要は、先の戦争の死者を裏切った所に今の日本があるということだ。「きけ わだつみのこえ」を読んで真っ先に心に浮かぶものは、強い共感ではなく、深い断絶の悲しみである。
だから今こうして、靖国の非宗教法人化とか、A級戦犯分祀とか、なんかいろいろ靖国問題の解決策が示されていても、全体的に眉唾物と思ってしまう。いたずらに政治問題化して、盛り上がっているだけに見える。そんなことよりも、宙ぶらりんになった自国の戦死者の「処遇」にケリをつける事が最初である。

ただ、こうも考える。こうした戦前と戦後の断絶、あるいは保守と革新が抱える「ねじれ=分裂」を最初に唱えだしたのはおそらく加藤典洋だろう。彼の「敗戦後論」から「戦後的思考」に至る壮絶な思考の過程には悪寒すら覚える。大げさだけど。僕が調子に乗って書いている事も、彼の主張を500分の一に薄めて焼き直しただけに過ぎない。
加藤の一貫した主張、それは「日本人一人一人がねじれを直視し、正面から向き合うことで、初めて日本の「戦後」は終わる」というものだ。僕はこれに全面的に賛成するものの、いざ実践するとなるとこれはなかなかの矛盾に逢着する。なぜなら、啓蒙によって多面的な視点を身につけた結果生まれる、分裂した知性は、まさに反省的シニシズムの典型と言えるからだ。日本人の多くが、靖国問題、戦後補償問題などに対して抱く一種のやりきれなさは、このシニシズムに根ざしているのではないかと密かに疑っている。

っていうかこんな偉そうな、訳わかんない事ばかり書いてたらそのうち日記自体書けなくなりそうなのでこの辺でやめる。明日からまた登山だ。