渋滞

実家に帰ってきてから、ほとんど何もしていない。ただ嬉しいことに、朝起きて飯食って寝るというほとんどそれだけでは無意味な生活サイクルを続けていても、さほど疎外感を感じずに済む。日記を通して何かしらを表現したいというやむにやまれぬ欲求も、心ならず収まっている。

一昨日は祖父の墓参のために服部緑地に行った。とある小説に描写されているので、調子に乗って引用してみることにする。

服部霊園は杉本家の地所の一角から、小川を隔ててそのあらましが見渡される。彼岸ででもなければ、墓参の人数はきわめて少ない。午後になると、広大な墓地の段丘に、立ち並んだ無数の白い墓石が、ひとつひとつ可愛らしい影を傍らの土に落しているのが見える。丘陵の森に囲まれた起伏に富んだ墓地のながめは、晴れやかな清潔なものであった。そして時には花崗岩の墓のひとつが、日に映えて白い石英をきらめかすのが遠くから見えた。
悦子はとりわけこの墓地にひろがる空のひろさを、墓地をつらぬく大幅な散歩道の静寂を愛した。この真白な晴れやかな静謐は、草の匂いや木の芽立ちの若樹の匂いと相俟って、彼女の魂をいつもよりも裸かにするように思われる。 三島由紀夫「愛の渇き」

確かに服部緑地に行ったときの記憶は、いつも突き抜ける程の晴天と一緒になっている。彼岸も盆も正月も全部だ。溢れるほど水を湛えたバケツを両手に持ってゆるゆると墓へと向かう、その道中にふと見つけた気まぐれな逃げ水までも、ひどく朗々としたものに映った。…


っていうかそんな話はどうでも良い。この日は渋滞がひどく、天王山トンネル前から吹田JCTまで抜けるのにたっぷり4時間かかった。親父は半ギレだった。あまりのかったるさに他のドライバーも気が立っているのか、妙にパトカーが駆け回っている。よく見ると、Tシャツを着た小太りの青年が、照り返しの眩しい路肩で警官に向かって何やら必死でまくし立てている。怒髪天を衝く、といった風情か。野次馬根性丸出しの僕もその構図の暑苦しさに思わず目を逸らしてしまった。
他にも色々あったけれど、また後で書くことにする。明日も暑そうだ。誰か僕に涼しさを分け与えてくれるものはないか?(切実)