儀式

明日はサークルの企画会議とやらがあったりする。思えば去年の夏の企画会議は壮絶だった。間髪を入れず怒声を浴びせる3年の先輩、おろおろする執行学年。まだ一年だった僕のいらいらは頂点に達し、思わず先輩方のやり取りに口を挟んでしまった。「先輩、その意見は論理の飛躍ですよ」みたいな。確かそいつの議論が、存在から当為を導き出そうとするような相当アクロバティックなものだったことに腹が立っていたはずだ。一瞬前のほうでどよめきが起こったのを今でも覚えている。思えば相当出過ぎた行為だった。
それはさておき、今でも山企画を審議するときに必ず先輩から「どうしてこの時期にこの山にしたのか。どうしてこのルートなのか。理由を言え。言えなければこの企画には反対だ」みたいな事を言われる。それはサークルが始まって以来おそらくずっと続いている伝統だ。これが原因で会議が止まる事もあってかなり鬱陶しかったりするし、同期も皆うざいうざいと言っているが、僕はそれなりに大事だと思ってたりする。
どう考えてもこれは一種の儀式だろう。無意味であるにもかかわらず存在する儀式は、サークルと言う「別にあっても無くても変わらない」集団の求心力を高める為には必要不可欠だと思う。そのためには、今まで一年を支えてくれた先輩方が全くのヒールに変貌する事も厭うべきではない。まぁ大変なことには違いないが。