村上

ずっと途絶えてた日記の始まりが村上逮捕のネタと言うのも気が引けるが、まぁいい。
僕も一度だけ村上さんの話を聞いた事がある。高校で開いていた特別講座みたいなのに講師として来ていたのだった。折りしも東京スタイルへの増配要求を巡ってプロキシファイトを繰り広げていた最中であり、彼は頻りに同社の高野社長(当時)を罵倒していた。「あんな馬鹿がのさばってるから駄目なんだ」みたいな。続いて幾つかのエピソードも披露していた。通産省在官中に主導した借地借家法の改正の顛末、子供の頃に買った同和鉱業株が、石油ショックに乗じて連日のストップ高を演じたこと、などなど。話を聞いていて終始感じていたのが、彼の、ある種ナイーブな理想主義と、それとは裏腹の強引さだった。2時間の話で一体お前は何が分かったんだ、と言われればそれまでだけど。
それはさておき、僕はこの、村上世彰のあくまで私利私欲を追求する姿勢と、世の中を変えてやるという高邁な理想が原理的に相容れないものじゃないか、と思ってしまう。
私利私欲を追求する事は非常に良いことだと思う。持てる能力を最大限生かして、自らの目的を追求する事自体はリベラリズムの精神にも適っている。かつての日本ならば、こうした人物が世間に登場するや即座に「こうした行為は如何なものか」だの「一人だけ儲けていい気に成りやがって」だの、ほとんど理不尽な批判を浴びていたかもしれない。そういう意味では時代は変わったとも言える。
問題はその先。自由主義の抱く「理想」は、私的所有権を持つものとしての責任と正義を、自らを律する倫理として引き受けることではないか?早い話、私利私欲の追求を通じて「自分はどう生きればよいのか」「どういう行為が正しいのか」とか言う事を日々反省する事が期待されていると思う。村上は、そこで十分な吟味の時間をとらず、一足飛びに「日本社会は、日本市場はどうあるべきか」ということに関心が移ってしまっていたように感じる。自分の中にではなく、外にばかり目が行っている感じだ。それが、周りの目から見たら「傲慢だ」というように映り、阪神電鉄株を巡る彼の挫折につながったと思う。
自分の理想を実現することは容易ではない。特に経済の分野ではなおさらだと思う。ファンドマネージャーという立場から自家中毒を起こして自滅した、そんな風に僕には見えた。